こんにちは、(仮)です!
今回のテーマは、「冠位十二階」です!
メジャーな用語なので、
「授業で習って、名前だけは覚えた」
という方も多いのではないでしょうか?
今回は、冠位十二階が制定された目的や、制度が与えた影響、さらになぜ「十二」なのかを解説します!
この記事は次のような人におすすめ!
・授業で習った冠位十二階って?
・なぜ冠位十二階をつくったの?
・冠位十二階制定後、どうなったの?
それでは、どうぞ!
「冠位十二階」とは?
教科書の「冠位十二階」
まずは、教科書で冠位十二階がどのように書かれているか見てみましょう。
603年には冠位十二階,
『詳説日本史』| 山川出版社
冠位十二階は氏族でなく個人の才能・功績に対し冠位を与えることにより, 氏族単位の王権組織を再編成しようとしたものであり,
『詳説日本史』| 山川出版社
このことから、冠位十二階は
・603年に制定された
・個人の才能・功績に対して与えられた
・氏族ごとであった王権組織を再編成しようとした
ことがわかります。
辞書の「冠位十二階」
次は教科書より詳しく、「冠位十二階」を見ていきましょう。
「冠位十二階」の「冠位」とは、冠の色や材料によって官人の等級を示す制度のことを指します。
そしてその「冠位」を、「徳・仁・礼・信・義・智」×「大・小」の12ランクに分けたのです。
「12」の意味
冠位十二階は、「儒教の思想」「五行思想」を取り入れているという説が有力です。
「12」という数字は、十二支や十二星座など、中国でよく使われていた基準数でした。
そして、官位や官職を12に分ける制度は、高句麗や北周に既に取り入れられていました。
当時の日本である倭は、中国で使われていた制度と似た制度を取り入れることで、中国のような大国になることを目指したのかもしれません。
冠位十二階の目的は?
冠位十二階の目的は、以下の3つです。
それぞれ詳しく見ていきましょう。
優秀な人材を登用するため
そもそも、冠位十二階が制定される以前から、人材登用制度は定められていました。
5世紀から6世紀にかけてつくられた「氏姓制度」です。
「氏姓制度」は、「氏」と呼ばれる組織ごとに「姓」を与えることで、官職・人・土地を管理した仕組みのことです。
ヤマト政権を支えた一方で、氏姓制度にはデメリットが2つありました。
1つ目は、氏姓制度は世襲制であったため、優秀な人材が活躍しにくかったことです。
2つ目は、氏それぞれに役職を与えていたため、氏同士に上司・部下の上下関係を結ばせることが難しかったことです。
この問題を解消するためにつくられたのが、個人に役職を割り当てる、冠位十二階なのです。
大陸に国家と認めてもらうため
当時の日本は「倭」と呼ばれ、随・高句麗・新羅・百済と外交をしていました。
これらの外交相手は、既に官僚の登用制度が整っていました。
相手国との使節と対応する時には、日本側にも同じランクの役人が必要です。
相手の国との外交の場で、自分の国からどの位を持つ官僚を選べばよいかを決めるために、大陸に似た制度が必要だったのです。
天皇権力強化のため
「優秀な人材を登用するため」「大陸に国家と認めてもらうため」このどちらも、最終的な目的は「天皇権力強化のため」です。
当時、日本(倭)や東アジアの国々は、激動の時代を迎えていました。
- 隋が周辺地域に進出
- 蘇我馬子が政治権力を握る過程で争いが起こる
こういったことから、国内外で緊張が高まっていました。
こうした状況を落ち着けるために、天皇を中心として国を安定させる必要があったのです。
冠位十二階のその後
603年に制定された冠位十二階は、およそ40年ほどでその制度の形が変わります。
しかし、官位を分けて役人の位を定めるといった形は、以下の制度に取り入れられていきました。
- 647年 七色十三階制
- 649年 十九階制
- 664年 二十六階制
- 682年 四十八階+諸十二階制
- 689年 位記を併用
そして、701年の大宝律令によって冠位制度は終わりを迎えます。その一世紀の間、日本を支える制度として成り立っていたのです。
まとめ:大陸に憧れてつくった官僚制度
今回は、「冠位十二階」について解説しました!
調べていて、とても中国への憧れが強い制度であることに驚きました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!